展覧会「遍在、不死、メタモルフォーゼ」のコンセプトについて
展覧会タイトルにある「遍在/ ubiquité」「不死/ immortalité」「メタモルフォーゼ/ métamorphose」について解説します。 「展覧会について」にあるように、展覧会のアイディアの中心には、イタリア人哲学者エマヌエーレ・コッチャの『メタモルフォーゼの哲学』に綴られた世界観―あらゆる生はただ一つの同じ生―があります。コッチャはこの本を通じてただ一つの主張を色彩豊かな変奏曲として奏でます。私たちの生が、その始原から未来まで連続していること。その形態はあまりに異なるように見えるけれどその連続性においてつながり合っていること。私たちは皆キメラ的存在であり、自らを形作るメタモルフォーゼの技術を持っていること。私たちは混ざり合い、しかし完全に溶け合うことなく生きており、それはメタモルフォーゼによって可能となること。
本書において、昆虫のメタモルフォーゼについての大変充実した参照が示されます。メタモルフォーゼが第一義的に指すのは言うまでもなく昆虫の変態であり、ならば本書はアナロジーのレトリックなのかと誤解してはならないでしょう。本書に先立ち執筆された『植物の生の哲学』もまた、「浸り/ immersion」の様態で生きる植物と世界の関係を綴ったものですが、その核心はそれがアナロジーではなく、あらゆる生について、地球全体についての話であると言うことです。
「遍在/ ubiquité」は、どこにでもある/いるという意味です。どこにでもあるということはそれが隈なく広がっていて、隅々までしみわたり、もはやそれがあることすら判らないような、わたしたちを取り巻くものの存在を思わせます。すべての私たちが、その始原が共通であるという点で連続性をもち、その私たちは棲み分けながらも混ざり合って生きている状況は、遍在的です。
もう少し具体的に言うと、例えばある生物種が地球上どこにでも蔓延っているようなこと。人間でも、植物でも、私たちは、ただ一つの同じ生としてあり、いたるところにある。
「不死/ immortalité」とは死なないことではありません。豊かな死の海のなかに生の泡が浮かびあがってぱちんと弾け、再び海の中に包まれるようなことを意味します。生が死のなかから現れ、そこに再び戻ること。「不死」はずっと私たちの文明の憧れでした。それは、生きながらえることであり、留まることであり、記憶することでした。「メタモルフォーゼ」の世界観に基づけば、始原からあらゆる生が唯一の同じ生である私たちは、全体として一度も死に絶えたことがなく、かつ、常に途方もない死を抱き締めていることになります。

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